2013年6月28日金曜日

フ・ク・シ・マ被災地ツアー21名参加!

2013年6月23日24日に21名の参加者とフ・ク・シ・マに行ってきました。
見ること・聞くことが,悲しかった、悔しかった。
安藤教授は「人と人が、地域社会が、親子が、兄弟が、家族が・・・分断されている
漁師だったガイドの志賀さん「一生、漁はできない事になりました
牛飼いの吉沢さんは、原発から14kmの牧場で、巨大地震・巨大津波そして被爆の中、「命がけで牛の命を守ると・・」350頭の牛達とともに、今、闘っている!!

福島大名誉教授の安藤さん

一柳閣の女将の島貫さん・厳しい環境の中で頑張っていた。

安斉(根本)さんも二本松から急がしい畑仕事の中、駆けつけてくれた。

ルポライターの西村さんも福島で取材中。飯坂で合流した。

総勢21名と旅館の女将・スタッフとともに。朝はラジオ体操をやった


原発20kmと20km以上の境界線で、ガレキの多さが違う
あの日から、そのままの自転車置き場・今にも通学生の声がしそう

無人の街・誰もいない。撮影前の映画のセットのようです。床屋さんがお客がいないのに営業を行っていた。

小高駅は、今も閉まったまま。線路は雑草で埋まっていた。(自転車置場が脇にある)

今回のツアーで初めて知った、日本国憲法の秘話。GHQと時の政府に、憲法素案を提案していた学者グループが存在し、その中心に鈴木安蔵(憲法学者)がいた事。誰かが「GHQが作った憲法がおかしい」と言っているが、真っ赤なウソで、GHQが日本人の作り上げた憲法を参考にした・・・と言うより『比較するとまったく類似している』、映画「日本の青空」は必見モノで、できれば企画を考えたい気持ちになった。(無知で恥ずかしい話だが、福島の誇りが一つ増えた)

検問があった。昼は通行可能となっているが、許可証が必要。もしくは漁協など関係者のみが入れるエリアらしいが夜と宿泊は今でも禁止。(昼ならと思っていたが、後で大変な事が・・)

鈴木安蔵氏の生家も被害が・・。同行の宮内さんが映画の紹介をしてくれた。

村上海岸は、大自然の脅威を教えてくれた。破壊された防波堤

ガイドの志賀さんは、破壊つくされたこの地区の住民でもある。

鉄の柱だけが残った水門。

空と海の青さと空爆を受けたと思うような光景がなんとなく不気味な感じだった。

巨大なコンクリートの塊りがアチコチに横たわっている

船も自動車もそのまま。ガレキも。高線量でもあり、片付けができない。

参加者の顔から笑顔が消えた。皆、瞬間、呆然としていた。

原発の煙突が見えた。地震と津波と原発事故で、街の道は至るところはバリケードで封鎖されていた、映画「アウトブレイク」(街全体が細菌の汚染され、封鎖して、街に核爆弾を落として殲滅させる)状態になっている。外部からは遮断しているように見える。東京に向かう道は3時なのに、封鎖されていた。3時間近く遅れてしまう。

牛350頭は、生きている。多くの酪農家は、避難のため、牛をおいて逃げざるを得ない。しかし、高線量の中、被爆しながら、牛達の命を守る人がいた。置いてきぼりの牛も連れてきたり、当然、売れない牛であり、政府は殺処分を命じたが彼、吉沢氏は「牛飼いは牛が命」と・・。エサ代もないので、配合飼料は高いので、ワラともやしに絞りかすを与えている。浪江は、事故の避難連絡が一番遅く、線量の高い地域へと逃げていた。「政府は、浪江をなくなる町にする気だ」と彼は言う。そんな事には絶対にさせない。この牛が証人として、この地で生きる事に・・・。凄い人物がいた。全国の原発地にも行き、渋谷でも街頭宣伝もやり、講演も多いらしい。東大でもやりたいとの事。最後に戦いを身につけている団塊の世代に猛アピール「20年運動やれる時間があるでしょう!?やれば原発はなくせます」と。


熱く、整然と、魂に響く吉沢氏の言葉。ハートにズシンズシンとくる。

東電に補償させるために積んだ、汚染されたワラ

吉沢氏を囲んで話を聞く参加者。皆、驚いていた。

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